6泊8日の道中も終わり、ようやく帰れるわい、やれやれ、と空港の搭乗口に並んだら、日本人の団体旅行の観光客が前にいた。年配の人たちが多く、団塊な人たちなのかな、と思って、ぼんやりと観光客と添乗員さんのやり取りを聴くとはなしに聞いていたのだが、彼らの日本語のやり取りが英語に聞こえるのである。

ちょっと離れたところの会話が良く聞こえないために、耳が感度を上げようとしているのだが、しばらく英語で過ごしていたためか、デフォールトで英語と判断して解釈してしまうのだ。(これがいわゆる英語耳というやつですかね。ちょっと違うか。)

びっくりしたことは、次の二つ。

  • 人の話を聞くときには頭の中で解釈をしているようだ。多分こんなことを言っているのだろう、と想像しながら。
  • たった1週間やそこらなのに、デフォールトが英語になってしまうものなんだな。

駐在時代に日本に戻ってきたときも、デフォールトで英語で解釈する状態になったのだが、それは結構長い間英語漬けになっていたからだと思っていた。しかしこんな短時間でスイッチするもんなんだ。 それにしてもやはり英語力の低下は感じる。どうも水泳や自転車やスキーと違って、英語ってのはしばらくぶりにやっても体が覚えている、という具合ではないようだ。

で、結局京成で成田空港から京成船橋、船橋から野田線で柏までという帰りのコースの最後まで「英語で解釈モード」が続いていたのだった。