もう1ヶ月以上前の話になってしまったが、自分のための備忘録として。ムダに長いです。

2018年12月28日

転職した新しい職場での仕事も、年内はこの日まで。前の日は、部の忘年会だったが、途中で腰が痛くなったり気分が優れなかったりで、ビールをグラスに三杯しか飲んでないのに、朝からあんまり調子が良くなかった。霞が関の地下鉄の駅から階段で上がるとき、まるで筑波山に登山しているように息が切れる。とりあえず仕事を始めるが、10:30頃からお腹の調子が悪くなりトイレに行くと、便が黒い。確か朝から黒かったが、昨日、赤ワインを飲んだわけでもないのにどうしたのだろう。用が済んでトイレから立上るとフラフラする。やっぱり調子がおかしい。午前中で帰ってしまおうか、と思いつつ、昼頃もう一度トイレに行って席に戻った時点で、へなへなへな、と崩れ落ちてしまった。

職場の同僚に休憩室まで連れて行ってもらって、ベッドに轟沈。産業医の先生はちょうど昼で席を外していたが、職場には医師免許を持ってる人がいて、いろいろ様子を聞いてくれて、腸内出血かもしれないので、救急車で病院に行って見てもらったほうが良いとアドバイスしてくれた。最高血圧が90台。先週、いつものクリニックで測ってもらったときは140以上あって、減塩食を勧められていたのに、どういうことなんだろうと思いつつ、救急車を待った。

程なく救急車が来て、幸い、近くの虎の門病院の救急で受け入れてくれるということで、ほんの僅かの距離だけど救急車で向かう。ストレッチャーに載せられて移動するので、上しか見えない。病院に着いて外に一瞬出ると、青空が青い。救急入り口の看板が頭の上を通り過ぎていく。こういうの映画で観たな。救急で寝間着に着替えさせられて、とりあえず点滴。高脂血症でかかってるクリニックの先生には、「君、このままだとそのうち救急車で運ばれて、日本光電のモニターに繋がれることになってしまうぞ」と脅されていたが、現実になってしまった(病気は違うし、テレメータだけど)。

この後、車椅子に乗せられて別の階に行き、CTとレントゲンを撮る。戻ったら、肛門に指やら器具やら突っ込んで、「やっぱり出血があるようですね」と。ちなみに肛門のやつ、医師はジギタールとかなんとか言っていたが、digital examinationの俗語のようである。なぜdigitalなのかと思ったが、要するにdigitalって言葉は、指を折って数を数えるところから来ていて、直腸指診は、直腸を指で診るのでデジタルなのだった。地デジのデジが意外なところでつながっているものである。

んで、救急担当とは別の先生が、「これから内視鏡しますが、多分、胃か十二指腸から出血しているので、年末で時間もないから一緒に処置もしてしましょう。で、入院ですね。」と軽やかにおっしゃった。あー、やっぱ入院決定かー。

内視鏡検査は20年以上前に一度したきりだ。処置もするから、喉の麻酔のゼリーの他に鎮痛剤だかも投与。注射は嫌だなと思ったが、点滴してるから、そのラインに薬を入れれば良いのであった。内視鏡のモニターは少し高い位置にあったが、何が起きてるのかを見たくて、上目遣いに見ていた。そのせいで姿勢が悪くなって、しばしば注意される。さらにしゃっくりまで始まってしまって、先生は相当やりにくかったと思う。こっちは相変わらず最高血圧が100ないのに心拍数120というパニック状態で、何がなんだかわかってなかった。患部は口の中を噛んでしまったようにそこだけ白くなっていて、そこを焼いて止血していく。

内視鏡が終わった頃にはパートに出ていたカミさんにも連絡がついていて、病院に向かっているとのこと。病棟のベッドに移動して到着を待つ。

土日は絶食し、月曜日の31日にもう一度内視鏡して、問題なければ流動食から徐々に戻していく、10日位の入院だろうとのこと。カミさんにパジャマとか、身の回りのものを頼んでこの日は終了。

2018年12月29日〜30日

この二日間は絶食(29日の昼過ぎから水だけ飲めるようになった)。点滴してるから、おしっこだけは頻繁で、トイレには夜中も何回か。日中はやることもなく、タブレットで電子書籍(マンガ)を読んだりしていた。早く点滴が終わって、食事ができるようにならないかな、と談話室の食事のメニューなんかを眺めていた。見舞いに来てくれた長男(管理栄養士の資格があり、去年の春まで病院の給食会社で働いていた)は、これもだめ、これもだめと胃潰瘍に悪いメニューをあげつらう。年末年始の特別食の胃潰瘍版はなかなか体験できないから写真撮っとくといいよ、だって。

2018年12月31日

午前中に内視鏡検査。この日は無理にモニターを見ようとしないで、おとなしくまな板の鯉状態。喉の麻酔だけなので、腹の中で内視鏡の先がグリグリいってる感触が伝わって気持ち悪い。

内視鏡検査の結果、潰瘍部分はちゃんと止血できているとのこと。流動食から食事を始めて、徐々に普通の食事に戻していく、鉄剤の点滴も始めて、正月休み明けの4日に血液検査してもう一度診察、そこで退院を判断しましょう、ということになった。

その後、テレメータがとれて少しだけ身軽になった。待望の食事は、まずは流動食から。見た目は寂しいが、とにかく食べることができて嬉しい。

だいぶ様子が見えてきたこともあり、職場の関係者に経過順調とメールしたり、facebookに書き込んだり。

2019年1月1日〜1月3日。

元日の朝。いつもなら、手賀大橋まで自転車で行って、初日の出の写真を撮ってくるのだけど、今年はかなわない。せめて窓から見えないかと思ったが、日が昇る方向にはでっかいビルがあってだめだった。

朝、点滴の針交換。今度は右手になった。ちょっと邪魔くさい。食事は昼からお粥になって、ようやく人並みの食事に。食事が普通になったので、点滴は夕方で終了。ただし、鉄剤の点滴が1日1回あるので、ラインは残してある。

ゴロゴロして何もしていないとはいえ、病院食はなんとなく量が少なくて物足りない。ただ、食間にオヤツがあるので救われる。一日の生活は、こんな感じ。

6:00起床
8:00朝食
10:00おやつ
12:00昼食
15:00おやつ
18:00夕食
21:00消灯

見事なまでに食って寝るだけ。この他に、一日3回位、かわいい看護師さんが来て、検温とか血圧測定とか。(確か食事の後だったと思うが、覚えてないw。)

食事が再開して、すこしずつお通じも戻ってきたが、退院する少し前まで、胃潰瘍の出血で真っ黒いベタベタの便が続いた。便は、はね便器という皿のようなもの(写真追加した)を便座にセットして、それにとって看護師さんに重さを測ってもらうのだけど、あんまり出ないこともあって、毎回ナースコールするのが申し訳ない気持ちだった。なお、ナースコールは看護師さんが持っているPHSにつながる。考えてみりゃそうなんだろうが、その現場を実際に見ると、やっぱりオオっ!となってしまった。

3が日の食事は、こんな感じの器で正月らしさを演出してたり、メニューもそれっぽい感じ。メニューは、病状に応じてきめ細かく変えているみたいで、すごく手間がかかっている。なのに、食べて寝るだけの自分は、量が少ないとかラーメンが食いたいとか勝手なことを抜かしていた。量が少ないので、少しでも満足感を得られるようにとよく噛んで食べていたが、考えてみると、入院前は、ろくに噛みもしないで、毎食腹いっぱいに120%くらい食っていて、人生最高体重を更新し続けていた。こういう生活習慣とか、いろいろ改めないとならないなあ、と少しだけ反省したのであった。ちなみに入院中に2〜3kgくらい痩せた。

2019年1月4日

朝、採血。朝食から、おかゆが普通のご飯になった。おかずはあまり変わらない。血液検査の結果、最初は(確か)7〜8くらいだったヘモグロビン値が、10以上に戻っていて(普段は14〜15)、その他の指標から造血も進んでいるのがわかる、ということで明日の退院が決定。7日の月曜から出勤予定ということにして、職場とか仕事関係の人にメール。

退院したら使おうと思ってAmazonでOMRONの血圧計購入。3,980円也。多分中国生産だろうが、それでもこの値段はすごい。

2019年1月5日〜

翌日は、朝ごはんだけ食べて、退院の書類をもらって、とっとと退院。入院費は後日請求書を郵送とのこと(ちなみに161,320円也であった)。カミさんと娘が迎えに来てくれて、荷物を持ってくれた。病院の近くの金刀比羅宮にて初詣。おみくじは中吉だったけど、「病ひ 治る 迷わず養生せよ」とのことであった。

予定通り、7日の月曜から出勤したが、少し歩くだけでフラフラするし、話をするだけでも息が上がる。貧血状態が続いているのだろうが、体力も相当落ちている。この週は、火曜日は一日休んで、その他の日も1〜2時間早く帰ったりして、ようやく週末になって体調が戻った感じになった。

月曜日にともかく出勤したのは、1月末に予定していたブラジル&ドイツ出張の調整のためだったが、月曜日に自分の想定以上に体調が悪かったので、とっととキャンセルしてしまったのだった。

その後はひたすら無理せず過ごして、だいぶ調子良くなって今に至る。今週末、フォローアップの内視鏡検査の予定。