朝、今は転職してしまった昔の部下からメールが来ていた。「誕生日おめでとうございます」と。
忘れていたわけじゃないが、あまり意識しないようにしていた。だって歳なんだもん、てへっ。冗談はさておき、今年も無事に誕生日を迎えられたのは、この位の歳になると逆に感謝すべきことなんだろう、とメールを見ながら思い直した。
さて、写真は数日前に娘からもらった誕生日プレゼントだ。どういう風の吹き回しでプレゼントをよこす気になったのかは知らんが、うれしいことはうれしい。それにしてもまたレンズ…。これで娘からレンズをもらうのは3つめだ。その他に自分で買ったのが2つ。いくら老眼だからといってもトータル5個はやりすぎかも。
今月定年退職する会社の人は、よくPCのディスプレイを虫眼鏡で拡大して入力していたりする。たとえこれ以上老眼が進んでも、さすがにそういうことはしたくないな、とは思うのだ。
名古屋の出張のときに、飲みすぎて老眼鏡をなくしてしまったのだった。カミさんに謝ると、「良くあること。度が進んだとか言ってたから、さっさと新調すれば?」とのこと。ありがたや。
というわけで、先週の日曜にメガネ屋に行き、木曜日から新しい老眼鏡を使っている。
写真は掌に老眼鏡を乗せて、「老眼鏡palm」としゃれてみたところ。なにしろサイト名の割に老眼の話題もpalmの話題も少ないのでタマにはネ。(あー、そこの君!手相読まないように。
)
老眼鏡を作るのは2年半ぶりだが、やはり老眼は少し進んでいた。前のメガネでは手元がすっきり見えなかったので、ぴったりあわせてもらったが、今度は周辺がかなりぼんやりする。無限遠にしか合わない単焦点レンズにレンズになってしまったんだなあ、と改めて思う。(いまだに遠くはハッキリ見える。)
メガネを付けている時間が増えてこともあって、メガネチェーンを買うべきかは少し悩ましいところだ。
昨日はカミさんが放送大学の学習センターに用事があるというので、一緒にくっついていって北千住界隈を少しだけうろうろした。
結構、昔の情緒あるたたずまいが残っていて、ふむふむと散策。帰りは土手をちょっとかすめて線路側から駅に戻るが、途中に「めやみ地蔵尊」なるものを発見。「めめ」と書かれた絵札(?)が沢山奉納されていた。
老眼が良くなりますように。
会社で誰も使ってないLCDがあった。今まで使っていたものより少し画面が大きいみたいなので、「老眼だから少しでも大きいのを使わせてもらうよ」などとつぶやきながら交換した。
少しは見やすくなればいいなあ、とか思いつつ電源投入。あれ?なんかこれボケてない?ディスプレイの上下も黒く切れてるし。変だなあとか思ってLCDのメニューとかをいじっていてようやく気がついた。
「これ、解像度が違う!」
ちょっとだけ大きいLCDだったので、解像度は今のまま1024×768だと思い込んでいたのだが、実は1280×1024だったのだった。画面のプロパティーで解像度を合わせるとようやくくっきりした表示になった。
「相対的に字が小さくなるから老眼向きではないのだが…」
とか思いつつメーラーとかブラウザとかメニューとかのフォントの大きさを調整。それにしても画面が広い。だいぶ世界が違うもんだなあ、と思いながら今までアップグレードしていなかったことをちょっとだけ悔やんだ。
さてubuntuだ:
PCを切り替えてubuntuでも解像度変更を行う。あれだけGUIな設定ツールが整っているくせに、Xの解像度追加は/etc/X11/xorg.confを自力で編集する必要がある。(Webで軽く調べるとどうやれば良いかすぐに出てくる。)
Section “Monitor”でHorizSyncを64にVertRefreshを60に変更、Section “Screen”のmodelineに”1280×1024″を追加すると無事解像度が変更される。
まあ、これでもXの設定ファイルをしこしこ自力で作成していた時代に比べると相当楽である。
追伸:
会社で近くを見渡してみたら、17″ LCDとか使ってるくせに1024×768の設定で表示させて、ボケボケ状態で使っている奴が複数いる。老眼で少しでも字が大きいほうが良いらしい。良く我慢できるなあ。こういう意味では私の老眼は未だそれほどひどくないわけだ。(というわけで久々に老眼ネタ。)
朝、駅のホームで気がついた。「あ、眼鏡忘れた!」
近頃、一段と老眼が進み、老眼鏡なしでは字を読むのがかなり難しくなっている。通勤電車の中で文庫本を読むことも出来ず、携帯で2ch読もうにも文字サイズを大きくしたら、回りの人間にちゃねらーだってばれちゃうじゃん。(笑)仕方がないので今日はラジオだけで我慢する。
お気に入りはTBSラジオの森本毅郎の「日本全国8時です」だ。お気に入りとは言いつつ、最近は月曜日の永谷脩さんと水曜日の森田正光さんしか聞いていなかったりするが、今日の荒川洋治さんの話はかなりの収穫だった。
曰く、句読点が日本に根付いたのは比較的最近のことである。二葉亭四迷の「浮雲」全3巻のうち、現代風の句読点の使い方が確立されたのは3巻目で1、2巻にはかなり表記の揺れがある。白抜きの読点があったり、句点の代わりに空白を使ったりされていた。また、何度も訳されている本の訳文を時代ごとに比較して、最近は読点が少なくなる傾向があるという話。ブログ書いてて、点を打つのが難しいなあと感じていたので興味深い話だった。
「おいしい生活。」「モーニング娘。」とかいう話に行くかと期待していたが、それはなかったのは残念。
会社に着いてからは、無理をしながらPCや書類を見る一日。
会社の某部長には、目の筋肉を鍛えると少し回復するカモよ、と変なアドバイスを受ける。減量よりも魅力的かもね>部下。
会社帰りに忘れたとき用の老眼鏡を100均で購入。今日は老眼鏡を忘れたのでかなりブルーな一日だった。と思っていたが、少なくとも通勤電車の中だけは大丈夫だったらしい。
(老眼が進んだので老眼鏡を作りなおそうかとも考えているのだ。老眼鏡依存傾向はますます高まるばかり)