老眼palm

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映画「Super 8」

(写真は、窓際にたたずむ飼い猫の写真だけど、今回の記事には全く関係なし。)

映画「Super 8」を流山おおたかの森のTOHOシネマで見てきた。舞台は1979年夏の設定。その頃は、自分も自主映画と称して、わけのわからない8mm映画を撮っていた。そんなのがちょっと懐かしくて、スピルバーグ製作ってのもあって、娘と見てきた。

映画が始まる前に「スーパーエイトって何?」って娘に聞かれて、えーとなんだっけ?「昔は16mmフィルムを半分に切って8mmフィルムと言って使ってたけど、そいつは穴が大きくて画面が小さくて画質も悪かったんで、穴を小さくして画質をよくした奴を作って、それをスーパーエイトと呼んだ」というウンチクを語ったりした。

そう、8mmなんて、もうとっくの前に廃れてしまったものなんだ。映画でコダックのスーパー8フィルムの黄色い箱が出てきて、すごく懐かしいんだけど、あんなチラッと写すだけじゃ、普通の人にはわかんないんじゃないのか?と心配したりして。とはいうものの、映画を見てる時には、コダックにはコダクロームとエクタクロームがあったのを思い出せなかった。

映画そのものについていえば、なんか怖いものが出てくるホラーな感じと、米軍が絡んだサスペンスというか謀略モノの感じと、ETみたいな少年たちの行動と、少年少女のラブストーリーと、その他のフレーバーが、単にごちゃごちゃと出てくるだけで、正直言って期待したほどではなかった。駄作だと思う。ただ最後の最後で、娘と一緒に大笑いさせてもらったので、8mmが刺身のツマ扱いで終わることもなくて、まあ、元はとれたかなって感じ。

映画に日本製の8mm機材が登場するかと期待したが、登場するカメラはEumigと、たぶんKodakの同時録音のできるタイプ。映写機等は判別できず。そういえば、物置をひっくり返せば、キヤノンのSuper8(たしか514XL)とか、フジノンの映写機とかが出てくるはずだが、もう動かないだろうな。キヤノンのカメラで撮ると、曇の日がちょっとブルーがかるような、コダクロームの色が好きだったんだけど。

 

小林紀晴「写真学生」

デジカメ買って写真撮ったりするようになって、図書館に本を借りに行っても、写真関係の書棚の前で立ち止まることが多くなった。

たいがい、デジカメの撮り方みたいなハウツーものを借りたりして、斜め読みして、ふーん、なるほどね、で終わりだが、こういう小説もこの分類なんだ、と思って借りて読んだ。

長野から東京に出てきて、写真学校に通う「僕」を主人公にした自伝的青春小説だ。途中、劣等感や不安、投げやりな気分にかられ、学校にいかない日が増える、という話がある。ああ、そうだ、自分もしばらく大学にいかないことがあった。出来のいい連中に囲まれて、自分が何をしていいのか分からなくなって(というより他にやりたいことがあったけど踏ん切りがつかず)、うろうろしていた時期だ。

結局のところ、せっかく入った大学なんだから、卒業しないともったいないだろう、情報処理の時間に習ったプログラミング方面だったら少しできるかもしれないし、と思って大学だけは卒業しようと思った。大学辞めて他の世界に飛び込む勇気も金もなかった。そんな打算的な考えで大学に戻ったが、卒論でお世話になった研究室で、いろんな人に出会えて、おかげで今の生活がある。というようなことを考えながら読んでいたら、止まらなくなって久々に夜更かしして読んでしまったのだった。

この本の主人公には、一貫して「写真」がある。最初はへたくそだが、徐々に写真を撮ることに自分の言葉や思いを重ねていけるようになっていくところが、青春小説だなあ、と感じた。

応電研の取り壊し

「恩師を囲む会」で応電研の取り壊しが進んでいることを聞いた。応電研というのは、自分が所属していた研究室があった北大付属の研究所で、応用電気研究所の略。数年前に電子科学研究所と名前が変わっている。囲む会でも、取り壊しの様子などをスライドで紹介されたが、次の日に行ってみることにした。

札幌駅で荷物を預け、一旦北5条の通りを西に進んで、途中からだけど昔の通学コースに沿って歩いた。予想よりも少し寒い。農学部の南のテニスコート横から北大構内に入り、観光気分でクラーク会館、クラーク像、ポプラ並木などを寄り道した。

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ポプラ並木は数年前の台風でだいぶ木が倒れたらしい。知らなかった。復旧計画が動いて、正式に立ち入りもできるようになったようだ。

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中央食堂の横から応電研(電子研)に近づいていくと、確かにあるべきところに建物がない。3/15の時点では、左側に見える奥の棟と右の管理棟が残っていた。やっぱり取り壊ししてるんだなあ、ということを確認して、さらに奥の方に歩いていった。

工学部横から、旧教養部、低温研の横を通って、創成科学研究棟のあたりまで行き、引き返して恵迪寮、サークル会館と歩いた。応電研が取り壊されていることは事前に知っていたから、ショックは感じていないつもりだったが、懐かしい場所を久しぶりに歩いて、だいぶ感傷的な気分になった。

そもそも大学の研究室の当時の教授が、今年亡くなっていたことをK君にメールで知らせてもらったのが、今回札幌に来ることになったきっかけだ。学生時代、ろくに学校にも行かず、ダメダメな学生をやっていた。卒業研究を指導していただくことになって、M教授に出会ったことで、ようやくマトモな生活に方向転換することができて、今の自分がある。研究室のスタッフの方々、諸先輩、同期のみんなには本当に良くしてもらった。でもボンクラな自分は、そんな良い環境に甘えていたし、もう少し頑張りようがあったんじゃないか?というようなことを考えながら歩いていた。

旧教養部から地下鉄の北18条の駅に駅に出て、札幌駅まで戻った。北18条界隈も、エルムトンネルができたりで道幅も広くなり、だいぶ雰囲気が変わっている。

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今回歩いたコースはこんな感じで7km強。今の自分の体力だとこんなところだろう。写真はたくさん撮ったが、レンズに油汚れがついていて、中心部分がボケボケの写真ばかり。季節的にも色が少ない時期だ。今度いつ札幌に来れる分からないが、季節の良い時期に自転車でうろうろしてみたい。

恩師を囲む会で札幌に行く

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先週の土曜日、大学の研究室時代にお世話になった先生が大学を退官されるということで、「恩師を囲む会」に出席すべく札幌に行ってきた。

先生は、自分が大学院生で在籍していた研究室で、当時、助教授として研究に教育にバリバリ、ぶいぶいと活躍されていた。ゼミでの突っ込みが鋭いので、自分には怖い先生だったのだが、一方で先生は「良く学び、良く遊べ」を実践されていて、自分みたいなダメな学生にもちゃんと付き合ってくれていた。

出来の悪い自分が、こういう会に出るのもどうかと思ったが、懐かしい人たちに会えるだろうとの下心だけで参加させてもらったのだった。ところが事前に出席者のリストをチェックしていたのだろう、スピーチの中で先生から「老眼君、来とるかな?」と名前を呼んでいただいたのは、とても嬉しかった。

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幹事さんたちは、パーティーに引き続き2次会も企画してくれていたので、ホテルにチェックインした後、すすきのの2次会会場に向かった。外は雪になっていたので「傘をささずに歩ける冬の北海道」をやってみたのだが、3月の雪は少し湿っぽくて少し無理があった。

懐かしい人に会えるだろうとの予想は当たっていて、卒業以来初めて会う人もいた。ただ男性と女性で一人ずつ、思い出すのに時間のかかった人がいて、自分の記憶の不確かさに、少し頭の中が混乱したりもした。

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ともあれ、懐かしい話題に花が咲き、3次会と〆のラーメンまでやってしまった。3次会では地酒の「国稀」を堪能、〆のラーメンは以前もやった「信月で塩ラーメン」だ。

後から考えてみると、〆のラーメンを付き合ってくれたK君は、その日はとってもそんなことができる状態じゃないはずだった。こっちが甘えて向こうが付き合ってくれるという、いつものパターンを守ってくれて感謝している。そういえば、メール連絡が不調で、この集まりに出られない可能性もあったのをフォローしてくれたのも、彼だった。

卒業して研究室を離れて以来、それぞれ過ごしてきた日々がある。久しぶりに会って、あの頃に戻った感じで話ができるのは、単なる郷愁かもしれない。でも、今の自分のベースが出来たのがあの頃だから、すぐに戻っていけるのだ、と思う。